第30回名作劇場読書会開催レポート ~『悲しみよ こんにちは』 フランソワーズ・サガン~
課題図書:『悲しみよ こんにちは』 フランソワーズ・サガン

【第30回名作劇場 読書会開催レポート 】
2020年11月29日(日)10時~12時 (Skypeでのオンライン開催)
11月に、約10か月ぶりに読書会を開催いたしました。
感染症が再拡大していることから、急遽オンライン開催へ変更させていただきましたが、参加者みなさんのご協力のおかげで無事に終えることができました。
ご参加いただいたみなさま、改めてありがとうございました!
※※ 以下、ネタバレを含みますのでご注意ください ※※
(新潮文庫 河野万里子訳(7刷)から引用)
■主人公セシル■
・モラトリアム期間
・鋭い観察眼
・若さゆえの残酷さ。経験がないから痛みへの想像力がない。
・17歳なのに恋に恋しておらず、好きという感情や恋愛を単純に考えていない。
・この父にしてこの子あり。
・セシルにイライラした、が、共感したくないんだけど30過ぎると分かる「あるある」な思春期の感情
・きっと同じことを繰り返してしまうんだろうなぁ。
・思春期特有の100:0ではない一貫性のない心情が上手く描かれている。
〈罪は、現代社会に残った唯一の鮮明な色彩である〉(29)
作中でセシルは、オスカーワイルドのこの言葉を引用しています。
個人的に、アンヌへの反発や策略は、セシルの精神的な自傷行為にも思えました。
生きている実感を得るために他人をも自分をも傷つけて、わざと自分を醜くすることで自ら傷つこうとしているように感じました。
〈わたしは自分がきらいだ、と。でもほほえみながら。そう思っても胸に痛みはなく、心地よいあきらめのようなものがあったから。〉(165)
セシルはどこか達観していて、自分のことすら俯瞰的に語ります。
冷めた(よく言えば冷静な)視点が印象的ですが、第3章の最後でセシルが貝がらを拾う場面で、その貝がらは今もセシルの手のひらにあり「泣きたくさせる」とあります。
この場面について、「心の底には悲しみが刻まれている」「表面には出てこない「人間的なもの」はセシルの奥深くにあるのだと思う」という意見が出ました。
■父レイモン■
・正直な人
・熱しやすく冷めやすい。
・こういう生き方もあるんだな。
・深さはない。すべてが浅い。
・深く入れないから、広くならざるをえない。
・自分がいなきゃと思わせる。
・親になっちゃいけない人、親になれない人
・父のセシルへの愛情は、ペットを可愛がるようなものに思えてしまう。
レイモンについては男女で意見が分かれたのですが、女性陣は「気持ち悪い」「40過ぎて落ち着け」と引き気味だったのに対して、男性陣が「経験できるものならしてみたい」という意見で一致していたのが面白かったです。
■父の恋人アンヌ■
・洗脳の上手さ、プロデュース力
・精神的な強さは自分が持っているから、本能的に生きているレイモンを選んだのでは。
・完璧に見えたそれは、弱さや寂しさを隠す虚勢でもあったと思う。
読書会で伝え忘れたのですが、セシルが自身とアンヌを対比している表現がとても好きです。
〈アンヌは物事に輪郭を、ことばに意味をもたせる人だ。どちらも父とわたしなら、喜んであいまいなままにしておくのだが。〉(18)
〈この人は、直立不動で話ができるタイプなのだ。わたしなら、いすがいる。なにかつかめるものか、タバコか、ぶらぶらさせる脚がいる。〉(67)
独特な表現で、両者をうまく表しているなぁと思います。
■セシルとアンヌ■
・アンヌのおかげで自我が芽生えた、起爆剤になった。
・アンヌと出会って、女性としての感性が芽生えていった。
・若さからの脱出のチャンスだったのに、アンヌを策略することを選んだセシルは、若さに勝つことができなかった。
・アンヌによって「複雑なもの」に惹かれていった。
・セシルはアンヌに寄りかかりすぎた。
・セシルは自分をコントロールされるのが嫌だった。
・アンヌへ憧れる一方で、自分に留まりたいという願望があった。
セシルは本心ではアンヌを求めていたと私は思います。
〈怒りだしてほしかった。愛について欠けたところのあるわたしの前で、そのあきらめたような超然とした態度を崩してほしかった。〉(43)
〈敗北に、やさしさに身をまかせてしまいたい〉〈こんな喜劇なんかやめて、(略) この人の手に自分をゆだねてしまいたい〉(109)
時折見せるこの弱音が、セシルの本当の願いのように聞こえました。
■その他の感想■
・話の筋はシンプルでストレートで、読みやすかった。
・18歳で書かれた作品ということに驚き
・フランスの洒落た感じと文学感
・奔放さがフランスっぽい。
・男女の違い、年齢の違いでいろいろな読み方ができそう。
・悲しみをじっくり丁寧に描いている。
・少女が大人になっていく過程、思春期の心の機微がうまく表現されている。
・やせっぽちのセシルと肉感的なアンヌ、女性になりきれていない身体の対比も上手い。
波の音、照りつける太陽、体にまとわりつく砂、クラリネットの響き、コーヒーの苦味とオレンジの酸味…。
読みながら、泳いだ後の気怠さのような重みを感じました。
サガンの鋭い言葉や詩的な表現も好きなのですが、五感に残る映像的な描写も素晴らしいと思います。
終わり方については、
・ラストが軽い
・サラッと悲しみとこんにちはしてる
・ここでも引いた目線
と、軽さを感じる意見が多く出ました。
この不謹慎な軽やかさが読み継がれてきた魅力なのかもしれませんね。
◆◆◆ 参加者イチオシの一文 ◆◆◆
今回、男性参加者が2名とも同じ箇所を選んでいたのが面白いと思いました。
曰く、「男性の方がロマンチック」とのこと。そうかもしれません(笑)
* ものうさと甘さが胸から離れないこの見知らぬ感情に、悲しみという重々しくも美しい名前をつけるのを、わたしはためらう。その感情はあまりに完全、あまりにエゴイスティックで、恥じたくなるほどだが、悲しみというのは、わたしには敬うべきものに思われるからだ。(9)
― 美しい書き出しに一気に引き込まれた。もうのさと甘さ、敬うべきもの、18歳で悲しみをこんな風に表現できるなんて。悲しみを知ってしまった悲しさに、胸がキュッとなる。
* 水底にすてきな貝がらがあるのを、わたしは見つけた。実際は、バラ色とブルーの小石だった。わたしはもぐってそれを拾うと、昼食まで大事に手のひらでころがしていた。これをお守りにして、夏のあいだずっと持っていよう、とわたしは決めた。
なんでもなくしてしまうわたしが、なぜこれだけはなくさなかったのか、わからない。石は今も、わたしの手のひらにある。バラ色で、あたたかみを帯びて。そうしてわたしを、泣きたくさせる。(38)
― 海中で遠目に見た”すてきな貝殻”が実際は小石だったように、セシルが観念の人間として強烈に憧れたアンヌは、生身の弱さのうえに観念の強さを重ねた一人の人間だった。
人間性に関して「原石」という褒め言葉を使うが、ここでは奥底に潜む弱さの象徴としての「小石」だと思う。
気づかないセシルは若さの残酷さでアンヌのその小石を打ち砕く。
セシルはその小石を事件の前に拾い“なぜか”大切に今も持っている。彼女は感じてはいる。しかしわかってはいない。
セシルにとって最大の不幸は、アンヌが急激に生々しく近づき過ぎたことだと思う。
“すてきな貝殻”への距離感を大切にしたい。
文学って素晴らしい。
* なんでもなくしてしまうわたしが、なぜこれだけはなくさなかったのか、わからない。石は今も、わたしの手のひらにある。バラ色で、あたたかみを帯びて。そうしてわたしを、泣きたくさせる。(38)
― 奔放で達観しているセシルですが(おそらくこの物語の後も)、今回の出来事が体の奥に刻まれていることを象徴している文という印象を受け、タイトルともリンクすると思ったのでこちらを選ばせていただきました!
* 単純にわたしはわたしとして、心に浮かんだことをそのまま感じるのは自由ではないか?生まれてはじめて、<わたし>は分裂してしまったようだった。そしてその二重性の発見に、胸を衝かれるような驚きを感じていた。(79~80)
― セシルの思春期特有の葛藤が描かれていると感じます。他人をコントロールしたがるアンヌにセシルはいら立ちを覚えますが、私もセシルと似た感情を感じながら読んだので印象に残りました。
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今回はじめてオンライン主催をしてみて、オンラインのメリットも感じつつ、やはりみなさんと直接お会いしたいなぁと思いました。
まだまだ油断できない状況が続いていますので、どのような形になるか分かりませんが、来年もほそぼそと読書会を開催出来たらと思っていますので、またよろしくお願いします!
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