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第29回名作劇場 読書会開催レポート ~『ペスト』 アルベール・カミュ~

  • 執筆者の写真: 劇場 名作
    劇場 名作
  • 2020年2月8日
  • 読了時間: 13分

課題図書:『ペスト』 アルベール・カミュ

【第29回名作劇場 読書会開催レポート 】

2020年1月26日(日)10時45分~13時15分 @ IMANO TOKYO GINZA CAFE

『ペスト』アルベール・カミュ

-ある朝、医師のリウーは鼠の死体を発見する。やがて、死者が出はじめ、リウーは死因がペストであることに気付く。町は外部と完全に遮断され、脱出不可能な状況で、市民の精神状態も困憊してゆく…。「不条理」に直面したとき、私たち人間はどう向き合えばよいのか、極限状況下における人間の尊厳とは何か。 -

 1月は、カミュの『ペスト』を課題図書に読書会を開催しました。図らずも、新型コロナウイルスにより武漢市が閉鎖されるというタイミングでの開催となり、決して他人事ではなく、非常時においてどう在るべきかを問われている思いがしました。

 『ペスト』は2年ほど前に初めて読んでいつか課題にしたいと思っていた作品で、読みやすくはない作品にも関わらず満席で開催することができ、また、みなさんとこの作品を語れたことがとても嬉しかったです!  読書会では、『ペスト』という一作品を超えて、カミュの哲学や西洋思想、宗教観などにも話がおよび、大変勉強になりました。  すべてをまとめることができないのが申し訳ないですが、主に印象に残った点を紹介させていただきます。

※※ 以下、ネタバレを含みますのでご注意ください ※※

(新潮文庫 宮崎嶺雄 訳(79刷)から引用)

(「100分de名著」の『ペスト』回テキストも活用させていただきました。)

■ 対話劇 ■

読書会では、本作でのカミュの文章について、

・あえてドラマチックに描かず淡々とした描写

・静かな文体

・乾いた文章

・戦後すぐの作品だから抽象的に描かれている

・哲学的。ストレートではない描き方

といった意見が出ました。

 『ペスト』は語り手による冷静な視点で物語が進んでいきますが、実は対話部分がとても熱く、ディスカッションドラマとしてとても読み応えがある作品です。参加者の方から「静かな文体の中に情熱を感じる文章」という感想も出ました。

 登場人物それぞれの山場がモノローグではなく対話になっていて、対話が人物の心理と行動を先へ先へ突き動かしていきます。(「100分de名著」より)

 リウーは、「観念のためには死ねない(ランベール) 」、「自分たちに理解できないことを愛さねばならない(パヌルー神父)」、といったぶつかり合いから、タルーやグランとも対話によって心を通わせていきます。

 「対話部分が苦手だった、読みにくかった」という感想も出たとおり、たしかに思想や哲学的な語りも多く、難解な箇所が多くあります。

 個人的に再読したときに、この言葉と言葉のぶつかり合いの中に、それぞれのキャラクターが表れていて、人物像をより理解できたように感じました。また、時に極端ともいえる強い言葉の数々は、読者に対しても語りかけ、問うているかのようにも感じました。

■ 愛すべき小市民グラン ■

「私の望むところはですよ、(略)、原稿が出版屋のところへ行った日にですね、その出版屋がそれを読んでから立ち上って、社員たちにこういうってことなんです ―《 一同、脱帽! 》」(149)

という決め台詞を持った(笑)、冴えない風貌をした50歳前後の小役人グランは、ペスト騒動の最中も自分の職務を変わらず続け、原稿を書くことに没頭する一見滑稽な人物。その小説は、完成するどころか、冒頭の一文だけが繰り返し書き直され続けています。  彼は本来の職務とは別に保険隊に加わり幹事の役割を担うようになりますが、「こんなことは1番大変な仕事ってわけじゃありませんからね」と、非常時においても“いつものままの善き意志”を持ってためらうことなく自分の職務を果たします。  そんなグランを語り手が「目立たぬヒーロー」と評していますが、取るに足らない、けれど誠実に日々を生きる無名の人々へのカミュの眼差しがグランという人物に込められている気がします。 読書会でも、 ・影の主人公 ・人間を信じたいカミュの思いがグランに表れている ・語り手(=カミュ)のグランへの愛情と敬意が伝わってくる ・彼が登場すると安心する という意見が出ました。 そんな愛すべきグランに、読書会参加者一同《脱帽》!

■ 神なき世界で奇跡は起きない ■

◇ 神なき世界  参加者の間で、主人公リウーはカミュの思想が反映された無神論者という意見が出ました。  リウーは、作中ではっきりと「神を信じていない」と言い放ち、また、「神を信じていないのに、なぜそんなに献身的になれるのか?」と問われて、「もし自分が全能の神というものを信じていたら、人々を治療することはやめて、そんな心配は神に任せてしまう」からと答えます。  つまり、“ 神という観念を信じてそれに頼ってしまうと、結局人間の責任と云うものがなくなってしまう。リウーは、神ではなく人間の側に立つために、無神論を選択している ”(「100分de名著」)のだそうです。  ペストは打ち勝つための試練でもなく、目の前には日々の職務だけがあり、神の救いなんて待たずに自分ができることをするというのがリウーと作者カミュの姿勢なのだと思いました。

◇ 奇跡は起きない  参加者の方が「『原因と結果』にはならないことを描いている。ペストがすべてを無意味にする。」という考察をされていましたが、たしかに、結局ペストを食い止めることが出来ないまま、自然と終息して幕が閉じます。  神による奇跡は起きず、キリスト教への懐疑や人間の無力さが表れているようにも感じますね。

◇ パヌルー神父  「当然の報い、反省すべき時が来た」「すべてを信じるか、すべてを否定するか」と市民に説教をするパヌルー神父は、私たち日本人には理解しづらい人物で、彼の主張も倒錯的に聞こえます。参加者の方からは、「キリスト教ではないから、深く読み解けないのがもどかしい」という意見が出ました。  「司祭は医師の診察を求めうるや?」という問題提起にも考えさせられました。  パヌルー神父は診察を拒みすべてを信じてペストを受け入れた結果、ペストとは断定できない「疑わしい症例」で亡くなりますが、それが、パヌルーが信じた天罰だったのか、来世での救済を保証する恩寵だったのかは未解決のままです。  医師リウーに助けを求めず、つらさを口にもせず、十字架像だけを握りしめて亡くなっていったパヌルー神父に、一種の究極の信仰心を見る思いでした。

◇ 微かな希望  神が不在の不条理な世界を描きながら、カミュの作品には「希望のようなもの」が感じられます。人間の善も悪も美しさも醜さも理解した上で、それでも残る人間への希望がカミュの中にあるのではないでしょうか。  そのことが、リウーやタルー、グラン、そして変化を遂げたランベールの行動に表れているのだと思います。

■ 接続詞と形容詞 ■

 グランは自分が書いている小説を完璧に仕上げるために、形容詞と接続詞をどう使うかを散々悩んでは書き直しています。

「ぎりぎりの場合、《しかし》と《そして》とどちらを選ぶかということはかなり容易です。それがもう、《そして》と《それから》とどっちにするかということになると、だいぶむずかしくなってきます。(略)しかし、なんといっても、一番むずかしいことは、《そして》を入れるべきか入れるべきでないかを判断することです」(150)

そして終盤、原稿を燃やしてしまったグランは、新たに文章を書き始めるのですが、

「すっかり削ってしまいましたよ、形容詞は全部」(453)

と、いたずらっぽい笑みを浮かべて満足そうに言うのでした。

この辺りのくだりについて、参加者の方が次のように考察されていました。 ・「しかし」という逆説は歴史にはない、あるとすれば「だから」。「しかし」という接続詞には、人間の理性と判断が入っている。 ・「過去」と「未来」の断絶に「現在」がある。 ・形容詞をとりはらったところに現実がある。 ・作者カミュが、自身の文学がどうあるべきか、自分との対話として描いているようにも思える。

 語り手リウー、新聞記者ランベール、小説を書いているグラン、手帳に記録し続けるタルーと、作中に様々な「書く人」が登場するのも、カミュの「書くこと」への思いが込められている気がしますね。

共感すること ■

〈 リウーは少し身を起し、そして心の平和に到達するためにとるべき道について、タルーに何かはっきりした考えがあるか、と尋ねた。 「あるね、共感ということだ」 〉(379)

 この場面の他にも、「共感」「理解すること」といった表現が本作には登場し、それらがタルーやリウーの道徳であり、彼らを動かす原動力となっていることが分かります。

「100分de名著」のテキストには次のようにあります。 “「共感」のフランス語は sympathie(サンパティ)で、英語のsympathy(シンパシー)と同じ言葉です。symは「一緒に」、pathieは英語のペーソスと同じくギリシャ語のpathos(パトス)が語源で、もとは「苦しみを感じる」の意ですから、語源的には「共に苦しむこと」という意味を含んでいます。「共感」という言葉は、とくにこの『ペスト』という小説では、「共に苦しむ」という語源的な意味と共鳴し、通じあっているのです。”(『100分de名著』)

「現に見たとおりのものを見てしまった今では、もう確かに僕はこの町の人間です、自分でそれを望もうと望むまいと。この事件はわれわれみんなに関係あることなんです」(307)

 これは新聞記者ランベールの台詞ですが、取材のためにたまたま町に訪れていた外部の人間である彼は、最初のうちは町から脱出しようと画策しますが、リウーたちが懸命に働く姿を見て、町に留まることを決意します。

 オラン市の住民であるリウーやグランだけでなく、外部の人間であるランベールやタルーが、町の人々と一体となって働く姿が胸を打ちます。彼らの行動には、他人に対する共感、共に痛みを感じようとする感受性が表れています。きっとそれは、作者カミュの人間に対する感受性なのではないでしょうか。

■ 読書会で出たその他の感想 ■ ・決してヒーローではない登場人物たちが、ただ自分のできることをしようとする姿勢、共感しようとする姿勢に胸を打たれた。 ・戦争の記憶が反映されているが、現代の自分が読むと距離が離れているので、当時の人々がどう読んだのかを知りたいと思った。 ・精緻な人物描写。当時のプロトタイプの人物が象徴されている。 ・カミュが経験したリアリズム。人は何を信仰するか。 ・抽象と理性をイコールと捉えているところが自分とは対極の考えで、自分の価値観の範疇を超えていて考えさせられた。 ・パンデミックものだと軽く読み始めたら、設定も凝っていて、心理描写が個性的。 ・もっとドラマチックにできたはずなのにしないところが良い。どの時代にも通用する、脅威に対する人間の普遍性が描かれているから読み継がれているのだと思った。 ・先が見えない状況が無感情状態を引き起こす。 ・不条理な状況におかれたときの人間の紆余曲折、社会への批判。 ・町が閉鎖された後の描写が、想像と違った。内に籠るのかと思ったら、外出が増えて陽気になっている状態が興味深かった。 ・各機関の対応が現代社会を描いているようだった。 ・コタールの弱さやずるさも人間らしい。 ・不条理の中に人間の真実があぶり出される。

※以下は、レポートで読書会に参加してくださった方からの感想(抜粋)です。

〈暗い港から、公式の祝賀の最初の花火が上った。全市は、長いかすかな歓呼をもってそれに答えた。コタールもタルーも、リウーが愛し、そして失った男たち、女たちも、すべて、死んだ者も罪を犯した者も、忘れられていた。(略)そのとき医師リウーは、ここで終りを告げるこの物語を書きつづろうと決心したのであった――黙して語らぬ人々の仲間にはいらぬために、これらペストに襲われた人々に有利な証言を行うために、彼らに対して行われた非道と暴虐の、せめて思い出だけでも残しておくために、そして、天災のさなかで教えられること、すなわち人間のなかには軽蔑すべきものよりも賛美すべきもののほうが多くあるということを、ただそうであるとだけいうために。〉(456-457)  ここにいたり、「最後まで読んでよかった」と思いました。  歴史に刻されるのは、あくまでも公の記録です。我々は何の業績も残さなければ、生没年未詳の「その他大勢」として、公に処理されてしまいます。そんなことを常々思っているものですから、このリウーの意思表明には感動しました。また、職業柄ペスト騒動の最前線にいたリウーがこうした思いを抱いたことにも、強く共感しました。  折しも中国の武漢で新型コロナウイルスによる肺炎が発生し、「武漢封鎖」がまるで『ペスト』のようだとSNSで話題になっていますが、問題は、報道が伝えない武漢市民一人ひとりの生きざまです。そこに光を当てることこそ、小説の役割なのだと思います。  個々の声に耳を傾け、冷静に真実を見分けることの大切さを訴える『ペスト』は、そんな現代においてこそ読まれるべき小説だと思います。特に『ペスト』の良いところは、リウーが自らを一登場人物に据え、記録文としてまとめた点です。何事も、渦中に身を置いたままのテンションで語ると歪んでしまいます。それらを排して物事を判断することの大切さを、『ペスト』は教えてくれるのです。

◆◆◆ 参加者イチオシの一文 ◆◆◆

* 戦争というものは確かにあまりにもばかげたことであるが、しかしそのことは、そいつが長続きする妨げにはならない。(55)

― ペストという語が初めて発せられた直後の一文です。オラン市民が隔離され、パニックに陥っていく直前であり、ここからいよいよ小説『ペスト』が始まっていくという感じがします。

* 歴史に残された約三十回の大きなペストは、一億近い死亡者を出していると、彼は胸につぶやいた。しかし、一億の死亡者とは、いったいなんだろう。戦争に行って来た場合でも、一人の死者とは何であるかをすでに知っているかどうかあやしいくらいである。それに、死んだ人間というものは、その死んだところを見ないかぎり一向重みのないものであるとなれば、広く史上にばらまかれた一億の死体など、想像のなかでは一抹の煙にすぎない。(57)

― ドキリとさせられた文章。悲惨な歴史やニュースを目にしても、心を痛めるのは一時的でしかなく、すぐに自分の日常に戻ってしまう「対岸の火事」な自分の姿勢に刺さった。現在発生しているオーストラリアの山火事で犠牲になる生物が十億を超えるというが、十億という「総称」にしてしまう怖さを思った。

* 「僕は自分としてできるだけ彼らを守ってやる、ただそれだけです」 (186)

― リウーのペストに立ち向かう姿勢が、他の人々との連帯を生んでいったと思うのですが、その姿勢が一番表れている一文だと思います。

* 「とにかく、この世の秩序が死の掟に支配されている以上は、おそらく神にとって、人々が自分を信じてくれないほうがいいかもしれないんです。そうしてあらんかぎりの力で死と戦ったほうがいいんです、神が黙している天上の世界に眼を向けたりしないで」(188)

― 抽象ではなく、あるがままの現実に目を向け、淡々と自分にできることのみに向き合うという姿勢が、リウーひいては作品全体の雰囲気に通じるところがあると感じた。

* 「しかしペストと戦う唯一の方法は、誠実さということです」(245)

― 「誠実」という言葉を日常でも大切にしているから。

* ペストはすべての者から、恋愛と、さらに友情の能力さえも奪ってしまった。なぜなら、愛は幾らかの未来を要求するものであり、しかもわれわれにとってはもはや刻々の瞬間しか存在しなかったからである。(269)

― ペストの本当の恐ろしさが描かれいていると思います。能力という言葉にしている点が、より未来を絶たれている恐怖がひしひしと伝わってきます。

* ペストはすべての者から、恋愛と、さらに友情の能力さえも奪ってしまった。なぜなら、愛は幾らかの未来を要求するものであり、しかもわれわれにとってはもはや刻々の瞬間しか存在しなかったからである。(269)

― 最初に読んだときに強い共感を覚えた。しかし今読み返してみると果たしてそうなのか?と疑問も浮かぶ。いずれにせよ、強いパワーがあるフレーズ。

* 「まったく憤りたくなるようなことです。しかし、それはつまり、それがわれわれの尺度を超えたことだからです。しかし、おそらくわれわれは、自分たちに理解できないことを愛さねばならないのです」(322)

― 宗教を超えて“理解できないこと”への愛と語ったキリスト者の自己の信仰に対する“揺らぎ”に対するギリギリの信仰を確保する吐露といえる。(二つ目の“しかし”は、むしろ“だから”。)

* 「すっかり削ってしまいましたよ、形容詞は全部」と彼は言った。

そして、いたずらっぽい笑いを浮べながら、彼は帽子をとって儀式めいた敬礼をした。(453)

― 洒脱だし、ユーモアもあるシーン。「形容詞」が持つ意味を考えると、グランというキャラクターらしさも表しているのでは。

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 今回参加くださったみなさま、読むのに苦労された方も多かったと思いますが(笑)、お付き合いいただきありがとうございました!

 2月はお休みし、次回開催は3月を予定しています。

 
 
 
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