【第22回名作劇場 読書会開催レポート ~『予告された殺人の記録』ガブリエル・ガルシア=マルケス ~】
課題図書:『予告された殺人の記録』ガブリエル・ガルシア=マルケス

【第22回名作劇場 読書会開催レポート 】
2019年4月27日(土)10時30分~ @ ライブラリーショップ&カフェ日比谷
『予告された殺人の記録』ガブリエル・ガルシア=マルケス
1981年、ガルシア=マルケス54歳のときの作品。
―町をあげての婚礼騒ぎの翌朝、充分すぎる犯行予告にもかかわらず、なぜ彼は滅多切りにされねばならなかったのか? 閉鎖的な田舎町でほぼ三十年前に起きた、幻想とも見紛う殺人事件。凝縮されたその時空間に、差別や妬み、憎悪といった民衆感情、崩壊寸前の共同体のメカニズムを複眼的に捉えつつ、モザイクの如く入り組んだ過去の重層を、哀しみと滑稽、郷愁をこめて録す、熟成の中篇 ―
※※ 以下、ネタバレを含みますのでご注意ください ※※
(新潮文庫 野谷文昭 訳 から引用)
4月は、ガルシア=マルケスの『予告された殺人の記録』を課題図書に、読書会を開催いたしました。
読みたい読みたいと思いながら手を出せていない『百年の孤独』。まずはガルシア=マルケス入門編から、と読んでみたら衝撃の読書体験でした!
■読み終えての率直な感想
・グロテスク。
・人間の二面性が描かれている。
・寓話のようにも読める。
・空気が濃密。湯気が立ってそう。汗とか食べものの描写が生々しい。
・明確なひとりの意志ではなく、人々との繋がりで起きてしまったのが怖い。
・司教来訪や婚礼という非日常的祝祭で湧く、町の人々異様な熱気。
・カバー装画がいい。
・構成が上手い。
・文体に慣れるまで読みづらかった。
・不条理&ドラマチック。
・体力が消耗する読書。一文一文に緊張感がある。
・一度しか登場しない捨てキャラの多さ。
・ひとつの死が色々な角度で描かれている。
・ちょっとしたボタンのかけ違いの連続。
・再読時に新たな発見があったり、繰り返し読める面白さ。
■計算され尽くした混沌
「慣れない文体/読むのに時間がかかった/誰?/時間軸が分からなくなった」と、読むのに苦労された方も多かったようです。南米の聞きなれない名前の羅列や登場人物の多さ、時間が行ったり来たりする構成は決して読みやすくはないですよね。
町の住人たちが代わる代わる登場して当時の様子を語りますが、その話にも矛盾があったり、人によって話が違ったりしてさらに混乱を招きます。
参加者の方から、「雨の描写が多いのは、視界にフィルターがかかっている感じを表現したかったのでは」「曇りのない眼で見ることができるのか、という西洋の思想を感じた」といった意見も出て、なるほどと思いました。矛盾や入り組んだ時制も、きっと計算され尽くした結果なのでしょうね。
一方で、その構成の上手さを絶賛する意見も多く出ました。
時系列が進んでは戻り進んでは戻り、まるでサンティアゴ・ナサールが何度も殺されたかのような錯覚に陥ります。
そして、何度も何度も住人たちの話の中で殺された彼が “いよいよ殺される” クライマックスは、まさに圧巻!
章ごとが、住人たちの「サンティアゴ・ナサールが殺された」というような台詞で区切られているのが特徴的ですが、最終章の本人の最後の台詞がそれに呼応するようで、大変しびれました!
■群衆心理
冗談のような偶然の連続、予告されていたのに止められなかった殺人、茶番にならず文学として読ませるさすがの筆力だと思いました。
“誰か” が伝えるだろう止めるだろうと思って、自分では行動しない群衆心理が見事に描かれています。
参加者の方から、「組織や会社のようだ」という意見も出ました。犯行予告を耳にしながらも “忘れてしまう” 町長や神父はまるで、小さな出来事は他人事で大事になるまで我関せずな三流会社の偉い人(笑)。
移民であるサンティアゴ・ナサールはいわば中途入社だから標的になった、という解釈にも笑ってしまいました(笑)。
■なぜサンティアゴ・ナサールが選ばれたのか
みなさんの意見は「アンヘラ・ビカリオの相手はサンティアゴ・ナサールではなかった」で一致しましたが、ではなぜ彼を名指ししたのか。恨みがあったから?実は憧れていたから? もうそんな個人の次元ではなく、「村社会を存続するための生贄」「共同体の共通信念による犠牲」といった意見も出ました。 「司教が船を降りずに去ってしまったのは町が穢されたから」だと思った群衆には人柱が必要で、アンヘラ・ビカリオの相手(とされ)かつ移民であるサンティアゴ・ナサールが捧げられたのでは、という深い考察をされている方も。
■不謹慎な笑い はじめましての参加者の方に、「腸で爆笑するやばい主催者」認定されてはいないだろうかと、読書会の帰り道にひとり反省会をしました(笑)。 いや、普段はグロテスクな描写は苦手なんですよ、苦手なんですが、本作の解剖の場面ではじわじわが止まりませんでした。 《神父は、ずたずたになったはらわたを元から引き抜いたものの、結局どうしていいか分からず、腹立ちまぎれに祝福を施すと、それをゴミ捨て用の桶に放り込んでしまったのだ。》(90頁) ここ最高です(笑)。
そしてクライマックスの殺害の場面も、凄惨すぎて笑えてきちゃう(私だけ?)。 読書会で、腸問題で盛り上がる中、独特の色彩表現も話題になりました。 最たる箇所は、《日光に当たった自分のきれいな青い腸》。うわー青いんだ…
◆◆◆ 読書会で出たその他の印象的な感想 ◆◆◆
・人の心だとか動機だとか事実は保留にされていて、目的は真相解明ではなく「秩序を与える」こと。
・曖昧な記憶だったり、自分の主観で「事実」として証言してしまうことに怖さを感じた。
・アンヘラ・ビカリオが、バヤルドに捨てられてから追いかけていく心理が面白い。
・アンヘラ・ビカリオは苦手。2000通の手紙は愛か狂気か。
・双子のビカリオ兄弟の「決行する/しない」の意見が交互に出てきて、ひとりの人物が持つ二面性が双子で表現されているように感じた。
・鉄道技師であるバヤルド・サン・ロマンは、閉鎖的な町に新たな文明を運ぶ「まれびと」のような存在に感じた。
・シウスの家が部外者のバヤルドに買われてしまうのが、村社会の崩れの象徴のように思えた。
・タブーである人殺しがエンタメ化していて、面白がってしまう私たち読者もまた共犯なのかもしれない。
・《彼が絶えず不当と感じていたのは、文学には禁じられている偶然が、人々の間でいくつも重なることによって、あれほど十分に予告された殺人が、行われてしまったことだった。》― 時にアンリアルはリアルを超えることがあり、それを文学にしたのが本作だと思った。
◆◆◆ 参加者イチオシの一文 ◆◆◆
* 自分が殺される日、サンティアゴ・ナサールは、司教が船で着くのを待つために、朝、5時半に起きた。(7頁)
― 読まずにいられなくなる完璧な冒頭!
* 「おれたちは、酔っ払いのたわごとだと思ったんです」(63頁)
― サンティアゴ・ナサールを殺すと宣言しているのにも関わらず、遠回しに我関せずの態度をとっている表現が面白い。
* その日は何もかも、ずっとサンティアゴ・ナサールの臭いがしていた。(92頁)
― 読んでいても臭ってきそうな、臭覚にも訴えてくる描写の数々。凝縮された世界にクラクラした。
* わたしたちがそうしたのは、いくつものミステリーを明らかにしたかったからではない。宿命が彼に名指しで与えた場所と任務がなんだったのか、それがきちんと分らぬまま暮らしていくことは、わたしたちにとって不可能だったからである。(114頁)
― 個人の判断とか善悪が無いのが良かった。これがマルケスが描きたかったことだと思う。
* 宿命が彼に名指しで与えた場所と任務がなんだったのか、それがきちんと分らぬまま暮らしていくことは、わたしたちにとって不可能だったからである。(114頁)
― まさにこの小説の原動力だから。不幸な出来事に対して誰もが持つ不変の心理。
* そこで彼女は、扉のところへ飛んで行き、一気に閉めてしまった。(139頁)
― 人間が生きる上での運や不条理の問題を考えさせられる。
* サンティアゴ・ナサールがあと数秒で中に入れるというときに、扉は閉ざされてしまった。(139頁)
― いくつもの偶然の最後に、母親によって扉を閉ざされてしまう決定的な出来事が、前後の場面とあいまって強烈に残りました。
*「おれは殺されたんだよ、ウェネ」(143頁)
― 衝撃。サンティアゴはどんな気持ちで言ったのか…
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気付けばもう6月…開催報告が遅くなりすみません…!
恥ずかしながら、ラテンアメリカ文学を読んだのは本作が初めてでした。『百年の孤独』はいつ読めるかなぁ。
参加者の方にお勧めいただいたアフリカ文学の『崩れゆく絆』ぜひ読みたいと思います♪
ご参加いただいたみなさま、楽しい時間をありがとうございました!