【第21回名作劇場 読書会開催レポート ~『外套・鼻』ゴーゴリ ~】
課題図書:『外套・鼻』ゴーゴリ
【第21回名作劇場 読書会開催レポート 】
2019年4月21日(日)10時15分~ @ 銀座珈琲 数寄屋橋店
2019年3月回は、ゴーゴリの『外套・鼻』の2作を課題図書に、読書会を開催しました。
主催者体調不良により、開催が4月に延期となってしまい、参加者の皆様にはご迷惑をお掛けいたしました…
主催の私は、今年に入ってはじめてゴーゴリを読んだのですが、へんてこりんなくせに妙に哀愁漂う世界観に魅了され、ゴーゴリ普及活動をせねばと課題本に選びました。 (私が普及しなくても、ご存知の方がほとんどでしたが。)
※※ 以下、ネタバレを含みますのでご注意ください ※※
(岩波文庫 平井肇 訳(改版)から引用)
◆◆◆『外套』 ◆◆◆
(1842年、ゴーゴリ32歳のときの作品)
-下級役人アカーキイ・アカーキエヴィッチは、その生真面目さを同僚に嘲笑されながらも、写字の仕事をこよなく愛し、 平穏に暮らしていた。着古した外套がついに修繕不可能なことが分かり、彼は外套を新調する決心をするが…-
■ "個人"を描く
・英雄物語だったり教会ものを描く時代から、個人に目が向けられはじめた
・共同体の一員でしかなかったのが、一個人として描かれるようになった
という意見が出たのですが、後から調べたところ、仰っるとおり、ロシア " 文学 " が生まれたのは17世紀になってからで、それ以前のロシアには、通俗的な物語を除くと宗教的ではないテキストは存在しなかったようです。
18世紀初頭にロシア文学が形成され、本作が描かれた19世紀にロシア小説の最盛期を迎えたとか。
ゴーゴリの時代になってようやく、アカーキイ・アカーキエヴィッチのような "取るに足りない貧しい役人" が主人公になれたのですね。
■「みな同胞である」
下級役人の悲哀や個人のちょっとした醜悪な部分が等身大に描かれていて共感を呼ぶ、という意見が出ました。
主人公の「かまわないで下さい!何だってそう人を馬鹿にするんです?」という台詞にハッとさせられた方も多かったようです。
主人公だけが哀れなのではなく、ほとんどの人間は、何を残すでも成し遂げるでもなく、ちっぽけな人生なのではないでしょうか。
作中の「わたしだって君の同胞なんだよ」という文章は、弱者や下層の人々へのゴーゴリの愛情の表れとも読めます。
■幸せの絶頂と悲劇のはじまり
外套を新調することで悲劇が起きたわけですが、外套を手にした瞬間が彼の人生の幸せの絶頂であったことも確かです。
周りから馬鹿にされながらあのまま単調な一生を送るのと、つかの間でも生きがいを得て幸福を感じて最期を迎えられたのとでは、どちらが幸せと言えるのでしょうか。みなさんと話していても、答えが出ませんでした。
ただし、周りが勝手に哀れんだり馬鹿にしているだけで、元々アカーキイ・アカーキエヴィッチは写字という自分の仕事を愛し、自分の人生に満足すらしていたはず。
外套を手にしたことで物への執着が生まれて悲劇の原因となったとすると外套を手にしなければよかったのか…やはり答えは出ません。
■読書会で出たその他の意見
・体制批判
・資本主義が表れている。
・外套を伴侶に例えているのが面白い。
・(極寒のペテルブルクに言及して) 厳しい自然の中で自然と共存しようとしたロシアと日本は、意外と似た気質を持っているのかも。寒い地域では文豪が生まれる。
・悲劇なのか喜劇なのか煙に巻かれた感じ。
・Mr.ビーンを思い出した。本人は至って真面目なのにおかしい。
・主人公の外套を盗んだ追い剥ぎも幽霊だったのでは。
・(終盤の幽霊のくだりについて) この場面がなかったらただのちょっと不憫な話で終わってしまって、印象に残らなかったと思う。
◆◆◆『鼻』 ◆◆◆
(1836年、ゴーゴリ26歳のときの作品)
-理髪師ヤーコウレヴィッチが朝食を取っていると、パンの中から人間の鼻が出て来た!その鼻が常連客である八等官コワリョフの物であることに気づいた彼は、鼻をどこかに捨ててこようと家を出た。一方、コワリョフは自分の鼻が無くなっている事に気が付いて探し始めるが…-
後半は『鼻』を取り上げたのですが、冒頭なぜか誰も口火を切らず、あやうく「ナンセンスなお話!以上!」とひと言で終わるところでした。
なんでしょうね、真面目に読んだり語ったりしたら負けという気持ちにさせるというか(笑)。いや、好きなんですけどね!
■歪められた世界
・不条理文学のはしり
・安部公房の『壁』を思い出した
・シュールレアリズム
・最後、「世にも奇妙な物語」のBGMが流れて、タ●リさんが出てきそう
・魚眼レンズで見たような世界
とみなさんから意見が出ましたが、「魚眼レンズで見た世界」という表現はとてもしっくりきました。
日常的な世界が、魚眼レンズで覗いたかのように歪んで描かれていて、そのズレがおかしみを生じさせているのかもしれません。
■「鼻」が表すもの
・アイデンティティの喪失?
主人公コワリョフは、官位や身分に固執する人物。服装や装飾品で着飾っていた彼は、鼻が無くなると自信も失ったかのようで、上流社会から弾かれるのではと狼狽えます。
一方、逃げ出した鼻は、身なりも官位も所有者である主人公を凌ぎ、主人公に対して「僕はもとより僕自身です」と堂々と言い放ちます。この対比が面白いですよね。
アイデンティティの喪失だったり、着飾るだけで中身が伴わない主人公への皮肉とも読める気がします。
・農奴制への批判?
作品が描かれた当時のロシアは、農奴制に対して批判の声が上がり始めた時代。
「鼻」は農奴や弱者を表していて、鼻の逃亡=奴隷の解放を描いているのでは、と時代背景と絡めた意見も出ました。
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と、鼻にとんでもなく深い意味があるのではないか、体制批判をしてるんじゃないかとか、みなさんと一緒に深読みしたところで、フと我に返って、「いやいやただの鼻の話だから」と、ゴーゴリに嘲笑われている気にもなりました(笑)。
語り手は最後に次のように言っています。
《第一こんなことを幾ら書いても、国家の利益には少しもならず、第二に……いや、第二にも矢張り利益にはならない。まったく何が何だか、さっぱりわたしにはわからない……。》
うーん、ゴーゴリはどこまで真面目に書いていたのでしょうね…
いずれにせよ、(鼻なのに) 立派な身なりといい、(鼻なのに) 信心深そうに祈祷を捧げたり、(鼻なのに) 海外へ高飛びしようとしたり、鼻紳士が大変魅力的なキャラクターだったのはたしかです。
◆◆◆ 参加者イチオシの一文 ◆◆◆
2作品のうち好きな方から一文を選んでいただいたのですが、まさかの参加者全員が『外套』推しという結果になりました (笑)。
* 局長や、もろもろの課長連が幾人となく更迭しても、彼は相も変らず同じ席で、同じ地位で、同じ役柄の、十年一日の如き文書係を勤めていたので、しまいには皆んなが、てっきりこの男はちゃんと制服を身につけ、禿げ頭を振りかざして、すっかり用意をしてこの世へ生まれて来たものに違いないと思い込んでしまったほどである。(10頁)
― 周りにいる上司とかにも、子ども時代があったんだよなぁ。分かる、あるある、というちょっとした表現が散りばめられている。
* 「構わないで下さい! 何だってそう人を馬鹿にするんです?」(12頁)
― 映画では「なんでボクをいじめるの」と訳されていた。子どもの言葉遣いの中に心打つものを感じた。
* しかもその胸に滲み入るような言葉の中から、「わたしだって君の同胞なんだよ。」という別な言葉が響いて来た。で、哀れなこの若者は思わず顔を蔽った。その後ながい生涯の間にも幾度となく、人間の内心には如何に多くの薄情なものがあり、洗練された教養ある如才なさの中に、而も、ああ!世間で上品な清廉の士と見做されているような人間の内部にすら、如何に多くの凶悪な野性が潜んでいるかを見て、彼は戦慄を禁じ得なかったものである。(12頁)
― どんな善良な人でも周りの流れで楽しくなるということは今でもあると思います。そんな人間の無情を再認識して襟を正せる良い文だと思います。
* で、哀れなこの若者は思わず顔を蔽った。その後ながい生涯の間にも幾度となく、人間の内心には如何に多くの薄情なものがあり、洗練された教養ある如才なさの中に、而も、ああ!世間で上品な清廉の士と見做されているような人間の内部にすら、如何に多くの凶悪な野性が潜んでいるかを見て、彼は戦慄を禁じ得なかったものである。(12頁)
― とるに足らないアカーキイの中に清い部分を見るゴーゴリの思想。
* 心ゆくまで書きものをすると、彼は神様があすはどんな写しものを下さるだろうかと、翌日の日のことを今から楽しみに、にこにこ微笑みながら寝につくのであった。(17頁)
― 自分の仕事をこんな風に愛せることは幸福だなぁ、と思ったのでした。
* 心ゆくまで書きものをすると、彼は神様があすはどんな写しものを下さるだろうかと、翌日の日のことを今から楽しみに、にこにこ微笑みながら寝につくのであった。(17頁)
― ささやかな幸せで満足するアカーキイが愛おしくて、この後、外套という目標を手にしたことで起きる悲劇がいっそう辛い。
* それからもずっと長いこと、食事をしたためながらも、例の《半纏》のみじめな現在の身の上を心に思い浮かべては、絶えずくすくす笑っていた。(40頁)
― 過去の自らを「笑う」という明らかな変化の瞬間。悲劇の前の幸福。
* アカーキイ・アカーキエヴィッチの遺骸は運び出されて、埋葬された。かくして、そんな人間は初めから生存しなかったもののように、アカーキイ・アカーキエヴィッチの存在はペテルブルグから消失したのである。(60頁)
― 物語では光を浴びるかもしれないけど、誰しも結局は忘れ去られるし、行き着くとこはここなんだと一番共感できた。
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ゴーゴリの作風は「涙を通しての笑い」と評されるように、真面目なようでとぼけた語りや、おかしみに混ざる悲哀が絶妙で、個人的に2作ともとても好みな作品でした。
参加者の方から「《外套》をつくる」という映画が公開されていると情報をいただきました。30年以上の歳月をかけて『外套』のアニメーション制作をしている作家を追ったドキュメンタリーです。公開はもう終了してしまいましたが、予告編だけでも味があって面白いので、ぜひみなさんもチェックしてみてください!
今回ご参加くださった皆さま、楽しい時間をありがとうございました