【第11回名作劇場 読書会開催レポート ~『フランケンシュタイン』メアリー・シェリー ~】
課題本:『フランケンシュタイン』メアリー・シェリー
【第11回名作劇場 読書会開催レポート 】
2018年4月28日(土) 10時00分~ @ ライブラリーショップ&カフェ日比谷
-若き科学者ヴィクター・フランケンシュタインは、ついに生命の創造という神をも恐れぬ行いに手を染める。だが、創り上げた “ 怪物 ” はあまりに恐ろしい容貌をしていた。故郷へ逃亡した彼は、醜さゆえの孤独にあえぎ、彼を憎んだ“怪物”に、追い詰められることなろうとは知る由もなかった…。200年前に科学の功罪を鋭く問いたゴシック小説の傑作-
5月は、シェリーの『フランケンシュタイン』を課題本に、読書会を開催いたしました。 1818年の出版から、ちょうど今年で200年!本も読んでいないし映画も観ていない、けれど不思議とみんなが知っている「フランケンシュタイン」。きっと、ボルトが刺さった頭につぎはぎだらけの体…といった共通のイメージが思い浮かぶのではないでしょうか。 今回参加くださったみなさんも漠然としたイメージはあったものの、全員が初読でした。こんなに文学的で深いテーマの作品だったとは…。シェリーが18歳で本作を書き始めていたことに驚くばかりです(匿名で初版が出版されたのは20歳のとき)。
※※ 以下、ネタバレを含みますのでご注意ください。 ※※
(新潮文庫 芹澤恵 訳から引用)
■ヴィクター・フランケンシュタインについて 無責任!/ 自業自得!/ 苦悩苦悩苦悩…言い訳がうっとおしい。/ 黙っていたのが許せない。/ 守りたいのなら、家族も故郷も捨てて孤独になるべきだった… などなど、参加者全員が怪物派だったので、ヴィクターに対しては辛辣な意見がほとんどでした (笑)。 ただ、無かったことにしようとしたり、ぐだぐだ自分に言い聞かせて納得しようとする心理は、身に覚えがありますよね…人間の弱さや狡さがリアルに表れているのではないでしょうか。 また、参加者の方から出た「枠を持つ人」という意見が印象的でした。ヴィクターは家族や友達のことは大事にしているけれど、他者と境界があるのが気になる、と。たしかに、世間と隔絶された自然の中で育ったヴィクターは、自分の描いた線の「内側」で生きる人だったのかもしれません。
■怪物について なんて魅力的なキャラクターなのでしょう!とある書評で、「独学で言葉を学んだ努力型のインテリ」と怪物が紹介されていたのが面白かったのですが、その通り、まさかこんなに高い知性と繊細な感受性を備えていたとは。 みなさんも、怪物のロジカルな思考、モニタリング力、プレゼン力に敬服。人間でも難しい「感情」を論理的に説明できるのがすごいという声が上がりました。 怪物は、最後まで「怪物・被造物・鬼・悪魔」といった一般名詞でしか呼ばれません。他者と少しでも交流をもちたいと一途に願う、その孤独な叫びと哀しみの独白が胸に刺さります。 怪物が1番求めたのは創造主=親であるヴィクターからの愛情(関心)で、どんなに憎んでもきっとヴィクターだけは殺せなかったんだろうなぁ…涙 人間の悪行や血なまぐさい出来事を嫌悪していたのに、「そうか、おれにも悲しみを造り出すことができるのか」(280頁)と、する側になってしまう心理にはゾクリとさせられ、哀しくもなりました。
■ヴィクターとウォルトン ― 踏みとどまれるかの境界 ウォルトン隊長の役割について、「ヴィクターとの差を出すための人物では」という意見が出ました。
終盤で、ウォルトン一行が乗った船が氷山に囲まれる危機に見舞われます。そのとき、船員たちから「氷山から脱出できたら引き返して欲しい」と訴えられて、ウォルトンが了承する一方で、そのやり取りを見ていたヴィクターは「男になれ。決然と目的に向かうのだ」と扇動します。 たしかに、このくだりには「踏み越えてはいけない一線」を前にしての踏みとどまれるかの差が表れているように思います。そんなヴィクターだから、怪物を創り上げてしまったのでしょうか。
■偏 見 作品のテーマのひとつである「偏見」や「差別」は、現代にも通ずる問題。 読者目線だと「怪物が可哀想!見た目だけで判断するなんて人間て最低!」なんて憤ってしまいますが、いざ目の前に怪物が現れたら…きっと逃げ出してしまいます。 現実でも、自分とは違う人・異質な人を前にしたとき、差別をするつもりはなくても、戸惑いを感じてしまうのは否定できないというのが、みなさんの率直な意見でした。 あと個人的には、強烈なヴィジュアルイメージのせいで、200年経った今でも偏見を持たれている怪物(と作品)が哀れに感じてしまいました。
■フランケンシュタイン・コンプレックス 参加者の方で、「読みながら、核兵器が思い浮かんだ。良くも悪くも天才が世界を動かす」と仰った方がいました。 ヴィクターは、とんでもない物を創り出したことに恐れをなし、自らが創り出した怪物によって人生を破滅させられますが、本作に由来して、「フランケンシュタイン・コンプレックス」という言葉があるそう。神に成り代わって人造人間やロボットなどの生命を創造する欲望を抱く一方で、その被造物によって人間が滅ぼされるのではないか、という恐れが入り混じった複雑な心理を指すそうです。 本作が描かれた当時のイギリスは、産業革命を経て工業化が進み、自然科学も急速に発達した転換期。悲劇的な怪物を生み出したシェリーは、近代化や科学の進歩の功罪を問いかけているようにも思います。
◆◆◆ そのほか、突っ込まずにはいられなかったアレやコレ ◆◆◆ ・作っている段階で怪物の醜さになぜ気づかない… ・怪物が目覚めて一瞬で逃げ出すヴィクター。怪物が部屋から出て行って安心しちゃうヴィクター。 ・2m50cm(約)は怖いよね、80cmくらいだったら… ・怪物の目撃者多発。でも噂にはならないよ。パニックにもならないよ。 ・怪物って喋るんだ! ・怪物に1日中家を覗かれ続けても全く気づかない心優しきド・ラセー一家。毎朝、薪が置かれていても、「あれ?よい精霊の仕業かな?」 ・「パパは偉いんだからな」の台詞にイラッとしちゃった大人な参加者一同。 ・どんぐりと野いちごが食べられれば満足な怪物が愛しい。 ・婚礼の晩のターゲット…お前じゃないんだよヴィクター! ・終盤の漫画的な追いかけっこ in 北極 ・アーネストを覚えていますか?(=ヴィクターのもうひとりの弟。フランケンシュタイン家唯一の生き残り。)
◆◆◆ 参加者イチオシの一文 ◆◆◆
*人間として許された以上の存在になろうという大それた野心を抱くよりも、生まれた町が全世界だと信じて暮らしている者のほうが、はるかに幸せだ―。(101頁)
― もろもろの出来事によって、あれほど未来有望だった秀才が、こんな思いを抱いてしまうなんて、悲しすぎます。本書はよく「人に絶望した怪物の悲しい物語」と紹介されますが、いやいや、フランケンシュタインだって同じくらい悲しいではないですか。物質的な喪失以上に、内面の変化が心に沁みる読書でした。
*そのうちに穏やかな光が忍びやかに天に拡がり、歓びの感覚を伝えてきた。おれははっとして立ちあがった。見ると、木立のあいだから光り輝くものが昇ってくるじゃないか。おれはそいつをじっと見つめた。一種の驚きに打たれていたんだと思う。何しろ、そいつはゆっくりと動きながら、おれの足元まで明るく照らしているのだからな。(207頁)
― 怪物が目覚めてから世界を知っていくこのくだりが、哀しくも美しい。知らないものを感覚的に表現する感受性の豊かさ。
*おれの守り手たち―彼らのことをそう呼ぶのを好んでいたのは、おれのいささか無邪気で、半ば苦しい自己欺瞞の為せる業だった。(241頁)
― 自分の愛や、受け入れてもらいたい気持ちを受け入れてもらえないことが、自分でもうすうす分かっている怪物の哀しみが伝わってくる。
*「おれの創造主よ、おれを幸せにしてくれ。おれのちっぽけな願いを聞き届けて、おまえに感謝させてくれ。おれに同情を寄せる者もいるのだということを示してくれ。おれの頼みを断るんじゃない!」(287頁)
― 怪物の感情が表れている。そうすることが正解だとわかっている。
*「そうか、おまえには想像力というものがないのか?」(439頁)
― 色々な立場がある中で、これが基本だと思った。ヴィクターの想像力の及ぶ範囲は、家族や友人だった。世界が広くなるに従って、必要な想像力は増えると思った。
*「いや、おれはこの身の不幸をわかってほしいと言いたいのではない。そもそも人に分かってもらえたことなどただの一度もないのだから」(441頁) 「この苦しみは、おれひとりで苦しめば充分だ」(442頁)
― 怪物が、自分の苦しみや葛藤をあくまで自分自身で抱えようとする姿に、彼の心理的な強さを感じた。
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科学の功罪や生命の成り立ちといった壮大なテーマ、かつ「自分は何者か」「親と子」といった普遍的なテーマに、色々と考えさせられる作品でした。改めて、200年前にこれを書いたメアリー・シェリー恐るべしです。
今回の読書会でも、自分だけでは見えなかったポイントに気付くことができました。ご参加くださった皆さん、ありがとうございました!
次回の課題本は、シェイクスピアの『リア王』です。
またどうぞよろしくお願いいたします。